操体法において、『快』感覚は必要不可欠なものなのですが、
これが実によくできています。
以前にもなんども書いていますが、『快』感覚とは、人間が生きていくために必要とする動作や行動に対して、ご褒美として脳から支払われる報酬です。
ですから、特に必要としない行為には脳はご褒美をくれません。
これを操体法に当てはめてみましょう。
体のゆがみをリセットする動作には、気持ち良さが生まれます。
正解の動作を見つけた時には、その気持ちよさに思わず「ビンゴ!」と叫んでしまいたくなるくらい。
しかし、その動作も数回繰り返しているうちに、
気持ち良さは薄れてきて、何も感じなくなります。
これはどういうことかというと、
もうその動作をする必要がなくなったので、脳がご褒美の供給をストップさせてしまったのです。
この辺かなりしっかりしてますね。
ですので、気持ちよくなくなったらその動作は終了してください。
それでも「もっとくれ〜」としつこくご褒美を求めてその動作を続けると、
やりすぎによる筋肉の損傷だとか疲労だとかをくださいます。
今度は逆にもうこれ以上やるなよっていう「戒め」ですね。
操体法にもいろいろなやり方がありますが、
大切なのは「快」の感覚を観察することです。
実は、それさえ出来ていればOKなのですよ。
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