夏休みの宿題が風呂敷広げすぎてまとまらなくなってしまいまして
頭の中整理してます。
最近ちょっと自分で実験していることがあります。
簡単に言うと『日常の行動の主導権を潜在意識に明け渡してみる』というね。
わけわかんないでしょ?
簡単にご説明いたしますと、
まず行いたい動作をイメージします。
そして『無心』になります。
もうこの時点で難しいとお思いでしょうが、『無心』とか言っちゃうから難しくなってしまうわけで、
ぼ〜〜〜〜〜っとすればいいだけです。
以上。
これ体験してみるとわかりますが、自分の潜在意識に惚れちゃいますよ。なんて有能なんだ。
結局、普段自分の行動邪魔してるのは、他ならぬ自分なんですよね。
私のようなめんどくさがりやには絶大な効果をもたらしてくれます。
潜在意識さんがせっせと雑務をこなしてくれている間、ぼけ〜〜〜〜とそれを見ているだけです。
ふと我に返ると、「はっ!終わってる・・・」みたいな。
イッツオートマチック♪
一回飛びましたが、前回は『闇ナベの中はしらたきで満たされているんだけど、蓋を開けるまではしらたきがある状態とない状態が同時に存在している。』といった感じでしたね。
まさに蓋を開けるまでわからないと。
お忘れかと思いますが、おぼろ豆腐も具材として入っておりました。
もう既にぐずぐずです。
実はこれがですね、『意識』と呼ばれてるものみたいです。
『しらたき』こと『素粒子』は物質の最小単位なので、不確定ではありますが実存するもの。
それに対して、この『おぼろ豆腐』こと通称『意識』が物質ではない何かなのです。
一体なんやねんと。
人間の脳というのは物質である『体』を制御する司令塔なのですが、
じゃあどうやって制御するかというと、この『意識』とか言うヤツを使うのです。
脳の活動自体は電気信号で行われるから『電子』という『素粒子』が受け持っているので実存すると言えるのでしょうね。
その脳の活動はと言えばまあざっくり言ってデータ処理ですね。
そのデータ処理によってうまれるものをどうやら『意識』と言うのでしょうか、この辺超難しい。
人間の行動、大雑把にわけて『意識的なもの』と『無意識的なもの』に分けられます。
これをそれぞれ担当しているのが『顕在意識』と『潜在意識』になります。
これもかなり大雑把な担当分けなのですが、まあ最初はそんな感じで覚えてもらえれば。
顕在意識と言うのは、いわゆる、私たちがいろいろ考えたり、意識的に行動したりと、興味対象に向かう行為を担当します。
それに対して、潜在意識と言うのは、生存に関する重要な行為を自動的に行ってくれています。生命維持とか種の保存とか。
一般的に顕在意識は脳の5%、潜在意識は脳の95%が使われているといわれています。
私たちの自覚してる意識って意外と小さいですよね。
この5%を使って私たちは日々喜んだり悩んだり怒ったり悲しんだりしているのですよ。
つづくのでしょうか
つづきました。その4
夏休みの研究発表は途中ですが、昨日面白い事がありまして。
息子連れてはぜ釣りに行ったのです。
天気もよくて心地よい海風に吹かれながらのお昼寝にはうってつけでした。
竿も一本新調してやりました。息子はぴかぴかの釣り竿を握りしめてやる気満々です。
仕掛けにエサをつけて岸壁から投げ入れ、息子に竿を渡して父は言いました。「ぴくぴくっと引いたら竿をあげるんだぞ」と。息子「うんわかった」と。
しかしながらというか案の定と言うか、もうすぐ6歳になる我が家のわんぱくボウズには、糸を垂らしてじっと待つなんてお上品な芸当はできるわけもなく、「釣りの仕掛けをたらしては引き上げてからませる」という一連の動作を延々とくり返してくれるわけですよ。
エンドレスにくり返される、からんだ釣り糸との格闘にデジャブを感じながら、普段は温和な父と母もいらだちを隠せません。
ついに許容点を超えた父が息子を呼びつけました。
「いいですか、よく聞いてください。ハゼは水の中にいます。ハゼを捕まえたかったら針にエサをつけて水の中に入れなければいけません。
それなのに、君はすぐにエサを引き上げて糸を絡ませてしまいます。その間、針のついたエサは水の中にはありません。さて、魚は釣れると思いますか?」
「釣れない。」
私の懸命な説得に息子もようやく納得してくれて、それ以降はからませ頻度はいくらか減りました。いくらかですが。
まあぶっちゃけた話、全然釣れなかったので息子も飽きてしまい、母子は浜辺の方にしばし遊びにいってしまいました。
私はと言えば、さあ静かになった、お昼寝しよう。
どうせ日中は釣れませんので。
夕方頃ふたりが戻ってきまして、場所を変えて再度釣り始めました。
息子はもうカニ釣りの方に興味がシフトしていて、なんか叫びながら護岸の割れ目に隠れているカニとのバトルを楽しんでいました。
そのうちに「お父さん〜ちょっと〜っ!!、なんか飛んできた〜〜〜!!!!」
でっかい声で叫びます。
わたしは「はいはいーあ〜〜〜うるせ〜〜〜」とスルーしてたのですが、ヤツの大声としつこさには定評があります。
母が根負けして見に行くと、「あ〜これハゼだっ!あっはっは〜〜〜」と。
なんと水中にいらっしゃるはずのハゼさんが、なぜだか陸上の息子の眼前にいらっしゃるではないですか!
私曰く、『エサのついた針を水中にたらさなくては捕まえられない』はずのハゼさんがですよ。
そこで私はハッとしてしまったのです。「ああなんと私の固定概念は狭いんだーー!!」
息子は針を水中にたらすことなく、見事ハゼをゲットしてしまったのです。
そのことによって、ガチガチに凝り固まった私の世界観をがらがらりと打ち崩してくれちゃったのです。
ほんとに「目から鱗。」魚釣りだけに。とか余計ですか。
普段から子供に「もっと頭を柔軟に使おうぜ」とかえらそうに言ってお恥ずかしい。この場を借りて謝罪します。
私のちっぽけな価値観で子供の無限の将来性を奪ってはいけないなと痛感した夏の午後なのでした。
思い返せば、小座布団サイズのエイが数匹泳ぎ回っていたのですよ。命の危険を感じたハゼさんは陸へと逃げてきたのかもしれませんね。
結果的に入る胃袋が違っただけというオチですが。
ハゼさんのいのちは息子が責任を持っておいしくいただきました。ごちそうさまでした。
前回は「宇宙はひもでできてるんだぜー。だからその一部である我々も、もちろんひもでできてるんだぜー」という所まででした。
暗くて気づかなかったけど、闇ナベの中は実はしらたきで満たされていた!みたいな感じですかね。
で、このひも「素粒子」ですが、常に揺れてるんですね。いわゆる「波」です。
私たちを構成するものが揺れてるんだから私たちだって揺れてるわけです。
この揺れの事を「波動」とか「波長」とか呼ぶそうです。
スピリチュアルな人たちが言っている事がこの辺に繋がっちゃうわけです。おもしろいですねー。
この揺れなんですけど、前回も言ったように前後左右上下の3次元に加えて、過去未来への時間軸4次元方向にも揺れてるんですって。もーこの辺からわからないですよね。
つまり現在の時点で存在してるかどうか確定してないってことらしいです。
そして、私たちが今、観察する事によってその存在のあるなしが確定するのであって、
観察するまでは存在してる状態でもありしてない状態でもあると。
観察したら状態変わっちゃうんだったら観察しようがないじゃん!と思いますよね?
でも頭のいい人たちは既に発見しちゃってるんですよ「素粒子」
この辺から話ややこしくなるのではしょります。
興味のある方は調べてみてください。おもしろいですよ〜。
そうです、もうこの時点で量子力学が楽しくなっちゃって壮大に脱線しているわけですね。
潜在意識はどこいったんだと。
いや、私の潜在意識は私に一体何をさせようとしているんだという事ですね。
つづきますー
今年の夏は自分への夏休みの自由研究の課題として、
自分のメンタル面をざっくざっくと掘り下げてみました。
正直、闇ナベにおぼろ豆腐を放り込んだようなメンタルなので、
自分でも極力見て見ぬ振りをしようと心に決めてたのです。
とっかかりはですね、潜在意識と自律神経の関わりをもうちょっと詳しく知りたいなと思いまして、ネット上をあちらこちらとさまよっていたんですよ。
「潜在意識」で検索かけるとしょっちゅう目に入ってくるのが
「引き寄せの法則」とか「悟り」とか「宇宙の意思」とかね、お豆腐メンタルかつ厨二病患者としてはうっかり引き寄せられてしまいそうなキーワードがいっぱいです。
でもわたくし基本的には夢も希望もない現実主義者なので、スピリチュアルな方向はあまり得意ではないのです。
存在を否定しているわけではなくて、自分が体験するまでは信じられないと言うか腑に落ちないと言うか。
霊感0なので。
で、どっち方向に引っぱられたかと言うと、物理学なんだけど哲学のようでもある「量子力学」てヤツです。
神の意志よりはまだ理解が可能かなと思ったのですが、とんでもねー。
私たちを含めた宇宙すべてを構成している最も小さい単位である素粒子というのは「ひも」らしいんですね。
それもぐにゃぐにゃした輪ゴムみたいなやつで、輪が切れてるのも混じってるとか。
宇宙全体をお徳用の輪ゴムがいっぱい入った箱だとすると半分くらい切れてたみたいな感じなんでしょうかね。
100均だったら返品対象ですね。そんなのはどうでもいいですね。
さらにわけがわからないことにその輪ゴムたちは上下左右方向にぐにゃぐにゃしてるだけでは飽き足らず、現在過去未来へと時間軸方向にもぐにゃぐにゃしてるんですと。11次元なんですと。
これを「超紐理論」と言うらしいです。違ってたらごめんなさい。
も〜このへんで自分のお豆腐メンタルを悩んでいるのがあほらしくなってくるわけですよ。
というわけで銀河の彼方まで話がそれた所でもうちょっと続きます。
どうもここにかくネタが操体法に偏りがちがという状況には、自分でも気づいているのですが、それにはちょっと理由があります。
カイロプラクティックにはしっかりとした方法論が確立されていて、決められた方法に乗っ取って施術をおこなっていきます。だから、私の主観の入る余地があまりないのですよね。
それに対して、操体法はあまりにも自由なのですよ。唯一の約束事は「動きたい方向に動く」これだけなんですもの。
だから私の妄想もどんどん膨らんでいくわけです。
「動きたい方向に動く」
操体法はつまり生き物の本能に則した療法という事です。だからほとんどの方に効果が出ます。
逆にどんな方に効果が出にくいかも最近は薄々わかってきました。
どうやら「自我」と「本能」があまり仲の良くない方には効きにくいようです。
現代社会で本能のままに生きると言うのは相当困難を極めますので、「自我」が強くなるのは当たり前の話です。
自我により本能を制御しなければ社会崩壊しかねませんからね。
問題は、自我が働きすぎて本能を抑えてしまう事によって、
本能が司る、本来持っているはずの自己回復能力、いわゆる『自然治癒力』が働けなくなってしまうという所にあります。
だから普段がんばっている「自我」を少しお休みさせてあげて、
「本能」を尊重し働きやすくしてあげる。ここがポイントなのですよ。
そして、本能が欲する動きには『快』という感覚が伴います。
生存に関わる大事な動作・行為には報酬系といわれている感覚がかならず伴っているのです。
体のゆがみをリセットするというのも生きていく上では重要ってことですね。
結論としましては、「本能」の叫びに耳を傾け、気持ちよい動きを全力で探し、そして味わう。
これが操体法の効果を最大に発揮させる方法なのですよ。
「自我」と「本能」、仲良き事は素晴らしき哉と。
と、昨日の朝イチの患者さんは、我が家のお嬢様でした。
普段から姿勢の悪さを指摘してはいるのですが、
私の言うことは右耳から左耳へと直通なのですよ。
私のアドバイス聞かないヤツなんか知らんと放置していたのですが、うずくまったまま動きません。
愛娘が悶絶しているのを見ながらのブレックファーストはこれっぽっちもおいしくないので
やさしいおとうさんはしかたなく痛みをとってあげる事にしました。
聞いた話を総合してみると、普段の家でのすてきな生活態度に部活と塾での疲労が重なって、さらにエアコンでいい感じに冷やされた結果って所じゃないかと。
くしくも明日は部活のコンクールの本番と言うのもあって、プレッシャーもかかっていたのでしょうね。
操体法で腹部と背部の緊張をとって、さらに足の緊張も弛めてあげました。
しかし、腰の痛みは弱くなったもののイマイチスッキリしない様子。
あとはどこでしょうかと最近ちょくちょくお世話になっているOリング先生にお伺いを立てた所
「頚椎が怪しいんじゃないの?」とのご回答。
「もしかして昨日首の骨とか鳴らした?」と娘に聞いてみるとビンゴでした。
お〜さすがOリング先生と、有無をいわさず頚椎を矯正して、
明日本番だから、大事を取って午前中はそのまま寝ておけと放置して仕事にでました。
昼休みに食事に戻ってランチの準備をしていると、階段を下りてくる足音が。
朝に比べるとかなり軽快な感じ。
矯正の反応も出たのかガッツリ二時間ほど寝たそうです。
夕方頃には痛みもほぼおさまって塾に旅立ってゆきました。
今朝はもうすっかり良いようで
「昨日の痛みがウソみたい」と嬉しくなる事言いながら
コンクール本番にむけて元気に出ていきました。
若いから回復が早いと言うのはあるけど
ぜったい治さなきゃという本人のやる気がすごく効いたんだろうなーと思います。
というわけで貸し1です。アイスおごってください。
8/7 追記
報酬のアイスいただきました。
そういう律儀な所が好きだ。